‐ 津波リスク ‐


・1605年2月3日 (慶長9年)

慶長地震津波:「田牛で寺堂ならびに尊像共に山奥に打入る」という史料があるので、津波の高さは3~4mであろう。

・1703年12月31日 (元禄16年)

元禄地震津波:津波の高さは3~4mで、宝福寺の大門に達した。家数492戸のところ332戸が流失皆潰、160戸が半潰、男女27人流死(37人または20人との記事もある)、船大小81隻破船、痛みなどの被害があった。下田武ヶ浜川除浪除(長200間、平均高7尺、馬踏5尺、敷2間)も津波で崩れた。

・1707年10月28日 (宝永4年)

宝永地震津波:津波の高さは5~6mで、宝福寺裏竹林まで達した。全壊857戸、半壊55戸、溺死11人、船破損93隻。

・1854年12月23日 (安政元年)

安政東海地震津波:津波の高さは、外浦3.5~4.5m、柿崎6.5m、下田3.5~6.8m、吉佐美2.4mに達した。柿崎では全壊・流失75戸、死傷なし。また、下田(本郷・岡方を含む)984戸のうち937戸が流失した。水死122人であった。古記録によると、津波は地震後約15分で襲来している。

 

【出典:日露友好150周年記念特別展「ディアナ号の軌跡」報告書、日本財団図書館】

 

・1923年9月1日 (大正12年)

関東地震津波下田・柿崎で2.5~4.5mの高さの津波があった。また湾外の須崎・外浦などでやや高く、4~6mに達した所もある。被害は全壊2戸、半壊50戸、床上浸水190戸。

・1944年12月7日 (昭和19年)

東南海地震津波:津波の高さ、下田市街で1.5~2.5m、稲生沢川沿いに浸水した。

・1946年12月21日 (昭和21年)

南海地震津波:津波の高さ2m程度、殆ど被害はなかった。

・1960年5月24日 (昭和35年)

チリ地震津波:南米チリで起こった地震による津波。津波の高さ1.3~1.8m、地上50cm程度の浸水。稲生沢川が引き潮で干上がり、歩いて渡れた。鍋田の砂浜で津波の高さ1m程度。

【出典:静岡県地震防災センターホームページ】


静岡県第4次地震被害想定

津波浸水想定図(下田市)

【出典:静岡県公式ホームページ】


津波フラッグとは

 令和2年6月24日から海水浴場等で、津波フラッグにより大津波警報、津波警報、津波注意報が発表されたことを知らせる取組みが始まりました。

【気象庁/知識・解説YouTubeチャンネル】

  津波フラッグを用いることで、聴覚に障害のある方や、波音や風で音が聞き取りにくい遊泳中の方などにも、津波警報等の発表を知らせることができます。海水浴場や海岸付近で津波フラッグを見かけたら、速やかに高い場所へ避難を開始してください。 


下田市指定避難所

旧下田東中学校

〒415-0013

静岡県下田市柿崎1106番地

標高約35M 

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

柿崎海岸からの距離は約600M

所要時間は徒歩約8分


「地震だ、津波だ、すぐ避難!」

【出典:気象庁ホームページ】