昨年に引き続き「柿崎海水浴場」が「SEAPARK柿崎」として開設されます。
大正9年秋
「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」
窪田空穂
嘉永7年3月27日の夜、吉田松陰と金子重輔は、柿崎海岸の弁天島から伝馬船を漕ぎ出し、ペリーの旗艦ポターハン号に乗りつけました。
昭和初期、下田港内の東部にある柿崎海岸は、白砂美しい長汀、下田港を一望して、それ眺め佳く、海水浴場として理想的であると言われていました。